2007年6月18日月曜日

またまた教授考

教授という地位がそうさせるのか、もともとそういう性格なのか、とにかく教授という連中は例外なく人間的におかしい。権力欲は人一倍。名誉欲はそれ以上。金銭欲もすご過ぎる。そしてすべからく非常識である。一度教授になればたとえ脳梗塞で半身麻痺になろうが退職する必要はない。教授のやることに口を挟む者は医局には存在し得ない。まさにこのチェック機能のなさが人間をだめにする。傲慢な人間を作り上げる。自分の基準が世界基準と勘違いすることになる。臨床も、研究も、教育も、どれをとっても医局(今では「教室」と名を変えたが、実態は不変)の誰よりも上、すべてに亘って一流なんて事があり得るはずはない。大抵は研究が主体で、臨床は二の次だ。でも、甚だしい勘違いだが、臨床もできると思っている。手術の下手な外科医、内視鏡のできない内科医がだ。そして、極め付けは、医局員を自分の駒と思っている。お前はここ、お前はあそこ、と気ままな人事をやっている。ヒトの人生おかまいなしだ。でも、最近、かれらの力の根源であった人事権が失われつつある。医局員が言うことを聞かなくなってきている。人事権などなくても仕事で勝負だ、なんて無理。つまらない研究が多すぎる。大学の権威と人事権の上に胡坐をかいて、改革を怠ってきたつけが一気に噴出している。自業自得である。しかし、彼らは気がつこうともしない。それは研修医制度が悪い、と他人のせいにするだけだ。

2007年6月16日土曜日

新津洋司郎教授

典型的な教授である。札幌医大の第四内科という臨床科の教授であるが、臨床はできない。知識はある。しかし、実技はできない。臨床とは実技であるから、これでは臨床医とはいえない。しかし、日本ではこんな教授がほとんどである。学会や研究会、班会議等々、最新の知識の仕入先には事欠かない。仕入れたばかりの最新の知識を医局員にひけらかし、知識量の違いを見せつけようとするが、知識で患者は治せない。大半の医者は臨床がしたくて医局に入る。最初の右も左も分からない新人のときは素直に尊敬しているが、そのうち、実際の臨床ができないことに気づいてくる。そして、教授というものが分かってくる。尊敬の念もすたれてくる。
そうそう、このひと(新津教授)は血液学の大家らしい。血液というのは、ほとんど実技なしの世界だ。理論や知識だけでやっていける。なにせ、治療といえば、抗がん剤の種類、量や副作用に対する薬の処方など、体を動かさずにすむことばかりだ。これなら、知識の豊富なものが勝てる世界だ。なかなか自分というものがわかっておられる。さすが教授さま。そういえば来年春に退官のようだ。
札幌医大のために、いや、患者のために、次の教授は臨床ができるひとが選ばれますように。

2007年6月14日木曜日

札幌医大第四内科

みんな知ってるよね。何年か前に、名義貸しで逮捕されそうになった教授が、診療を放棄して雲隠れした事件。確か、教授の名前は新津だったと思う。会社なら倒産だけど、大学医局だから潰れてはいないよね。でも、まだ、教授やってるんだろうな。なんせ、教授と名のつくヒトは例外なく厚顔無恥だからね。名義貸しなんて、どこもやってただろうに、目を付けられたとは、よっぽどあこぎな事をやっていたのに違いないね。その、新津さんがまたまた話題になっているらしい。五輪橋とかいう民間病院と癒着してどうのこうのという記事だったけど、懲りないねえ。名誉院長の話があるのではという電話質問に、いきなり、他に行くところを決めてあるから、そこには行かない、と電話をきったらしい。退職後の天下り先ももう確保しているらしいが、お役人と同じだね。道職員の序列ではたかが課長クラスなのに、教授とはいい身分のようだね。
そしてその天下り先だが、なんでも小樽K会病院らしいよ。さらにその就職先を斡旋したのがKKR斗南病院のK藤院長らしんだが、この二人の関係はいかに。ま、あくまで噂だから本気にしないようにね。

http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200502260000/
http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200502210000/

2007年6月9日土曜日

教授はやめとけ

長生きしたいなら、病気にかかった時に教授にかかるのは止めよう。
つまり、大学病院にかかるのは考え物だ。
大学病院が良いのは、手のかかる病気か、非常に珍しい病気の時だけだ。
基本的に大学病院は教育病院である。その意味するところは、半人前の医師に訓練を施す所ということだ。

2007年6月7日木曜日

専門医は すごい?

最近は専門医がはやりだ。病院の看板にも掲示できるように法改正がなされたためだ。
専門医とは学会が認定するもので、学会は大学医学部の教授たちが牛耳る組織だ。
そして、専門医になるには学会に入会させてもらい、学会の指定する病院で研修し、学会で発表し、学会に試験資格の審査をしてもらい、学会の試験に合格しなければならない。
学会、つまり教授たちの言うことを聞く人医師に与えられる”称号”なのだ。
専門医はエキスパートと勘違いしてはいけない。なにせ、教授たちはほとんど例外なく専門医なのだから。ちょっと分かりづらかったかもしれない。つまり、多くの教授は臨床ができない。興味もない。学会で名前を売り、論文を増やすためには臨床などにかかわっていては時間がない。かくして、患者も診ずにひたすら論文を書き、頻回に病院を留守にして学会に出席する者がめでたく教授になれる。
教授になるための審査に”実技”はない。あっても、役立たずの形式審査のみ。
専門医とは知識のある人(の筈)であって、技術のある人という保証はない。
医師は技術職である。患者を治してなんぼではないか。知識は豊富だが手術が下手な外科医、知識はすごいが内視鏡が下手な消化器内科医、そんな専門医、要る?